商店街

商店街

どの街にも商店街は存在する、小規模小売業が、集合することで集客パワーの相乗効果を狙った結果、自然発生的に生みだされた街の商店街。そんな商店街が経営的ピンチを迎えて久しい。

これは、郊外型大型ショッピングセンターのあおりを受け、競争原理によって自然淘汰されたパターンもあれば、国の助成金を目当てに一部の利権の為に魂を売り払い、ダメになった商店街も少なくない。
助成金の名のもと、生活音痴な知識人や役人の定めた案でセンスのかけらもないアーケードが張り巡らされ、道幅が極端に大きくなってしまった。その結果、人もまばらな閑散とした何の情緒もない商店の集積地をつくり出したのだ。
ある視点から見れば、そこは商店の墓場にしか見えない惨状のところも少なくない。実に悲しいことである。

僕は20年前から商店街の道幅を広くしてはいけないと唱えて来た一人である。
これは消費者心理からも実証できることであるが、人が視認出来る視野の角度からも考えても道幅が広すぎる商店街は、両サイドを見て歩くことは不可能である。だから、当然、目的を持ってその店に行くか、片側を通行していて目にとまった
商品を奇跡的に買っていくかしかなくなる。商店の人々は声もかけられず、素通りされてしまう。
要するに道幅を広くすると雨をしのぐだけの通路と化してしまうのである。人が集まらないから商品も回転が落ち、劣化してしまう。負のスパイラルである。そんな商店街を見ていくと確かに時代に取り残された商店も多く、やる気を感じさせない店も多々ある。歯抜け状態の空き店舗の間をぽつんと、いかにも細々という店舗が、哀愁を漂わせて店を開けている。これでは、いくらやる気があってもどうしようもない。
商店街をダメにしたのは時代ともいえる。しかし、それ以上に生活音痴な人々によって作り出された人災ではないだろうか?大型ショッピングセンターのせいにして、なにも手を打たない商店主にも勿論、責任はある。
しかし、ここまで来たら手の打ちようが無いと言うのが本音ではないだろうか?

そこで、私は商店街再生の案をここで提示したいと思う。
それは空き店舗があればある程、おもしろいのであるのだが、商店街をもっとニッチに、もっとマニアックに再生できれば、人は必ず帰ってくる、集まってくるはずである。それは、私が過去に携わらせていただいた名古屋のある商業ビルの再生プロジェクトで実証されている案である。そのビルはオープン時は話題となり、多くの人が来店したらしいが、テナントに力が無く、すぐに衰退の一途をたどったビルであった。そこにあるプロジェクト案が浮上した。
もっとニッチに。もっとマニアックによそが集めない人々を集積しよう。そうすると、ここにしかないから
人が集まるのではないかというものであった。一流の名だたるブランドを無理をして入れるのではなく、「ニッチに。マニアックに。」をキーワードにテナント誘致をするというものであった。
ニッチまたはマニアックな趣は逆をいえば、強烈なファン層を抱える分野でもある訳だから、そこを掘り下げていくと、全国から人が集まってもおかしなことではないのだ。ここにしかない価値の産出である。そこでそのビルのとった方向性は、「お兄系ファッション」のみで全フロアを埋め尽くすというものであった。渋谷の109や109の2号館がそれであるように、
徹底的に絞り込むことで、その種の人々を全国から取り込むという手法であった。

その狙いは当たり、名古屋だけでなく近隣の他府県から人が集まって来た。今でもこの方向性は貫かれていて、売り上げも好調のようである。この手法は中堅小規模の商業ビルは勿論、商店街にも当てはまる。
勿論、お兄系やお姉系で絞れという意味ではない。アートならアート。プロダクトならプロダクトというように大手ではできない、その道のニッチまたはマニアックに絞り込んだもので、その界隈をジャックするという意味である。
詳細はまた、お問い合わせいただければ、ご説明するが、とにかく「何でもある商店街」から「ここにしかない商店街」の構築を目指すべきだと言いたいのである。また、広くなってしまった道幅も資金のない若者に解放し、イベント出店できる仕組みを考えるのもいいだろう。

今からでも遅くない街に情緒を取り戻そう。街に活気を取り戻そうではないか。