互恵共奏社会の時代
互恵共奏社会とは、異国、異文化、異業種の人達が自分の文化や歴史など自分達のルーツに誇りをもって、あらゆる人が地球人として互いに互いの立場を理解し、共に音楽を奏でるかのように共存していくという思想である。
ただし、これは社会主義的イデオロギーや宗教的思想とは全く意を別にし、自分自身のアイデンティティをしっかりと持ち、その上で他との競争も許容した上で、人々に愛をもって接し、自身の強みを見返りなど期待せずに恵み続けることである。
20世紀の競争化社会では、ギブアンドテイク(互求)的思想がビジネスのリゾーム(根茎)に存在し、消費の奪い合い(シェア争い)という互奪ビジネスが当たり前の社会であった。しかし、情報化が進み、世界が近くなった現代社会、より距離の短縮が加速する未来社会では、シェアを奪い合うより、消費を互いの力を持ち寄り創造していく「創費社会」が実現されていくはずである。近年でもすでに起こり始めているアライアンス(同盟・提携)ビジネスに見て取れるように、新たな動きが活発化していき、業種、文化、国を越えて結ばれていくネットワークを誰も止めることなどできなくなっていくだろう。
人々はどこどこの会社の誰々という肩書き以上に、その人の持つアイデンティティに惹かれ、会社や組織の規模に関係なくビジネスが循環していく仕組みに変わっていくだろう。
20世紀の日本の工業化社会では、均一的作業の上に成り立った大量生産の仕組みに当てはまるべく、人材を大量につくり均質な社会を生み出してきたのに対し、20世紀後半から起こった情報化社会へのパラダイムシフトで均質的作業人の存在が浮いてくるという悲劇が生まれた。情報化社会では一変、個性を重視し、その個人がもつ創造性に価値をもたせ、行動できる人材が必要になってきたのである。
このパラダイムシフトは日本だけでなく、世界全体が今、経験していることである。
しかし、個はあくまでも個であり、全体との共奏が必要になってくる。共奏なくして個の個性だけでは、力になっていかないからである。全体と個のホロニックな形態こそ、21世紀の地球人として必要な構造ではないだろうか。そこで個と個が共奏していくためには、愛が必要になってくるのである。
互いに愛を持って、恵み合うという崇高な思想から成り立つ関係こそが「互恵共奏思想」である。
自分の存在する地域に誇りを持ち、しっかりとした自身、自社、自国のアイデンティティを持った上で暮らすことが必要ではないだろうか。