悟性と感性
感性は主観的にある物事に刺激を受け、インスパイアされる心の働きであり、何かを生み出す時に非常に重要な要素として捉えることができる。一方、悟性とは経験に基づき、合理的に考え、判断する心の働きのことで、物事を組み立てる時に重要な要素として必要な働きをする。
この悟性と感性の関係性を見てみると、違いが独立し合う概念として形成しつつ関係を求めあう概念である。
悟性と感性はリゾーム(根茎)で結ばれつつも、違いの持ち場をしっかりと持ち合わせ共生していくことで、一つのモノやコトが、成立する仕組みになっているのである。悟性と感性は決して相反するものではなく、オーケストラの各パーツのように重なりあい共生している関係なのではないだろうか。
ビジネスにおいても同様、 この関係性は必ず成立している。しかし、ここで留意しておかなければならないのは、時代との関係からなる悟性と感性のウェイト的バランスと組み立ての順位である。
20世紀の大量生産、大量消費の情報工業化社会の時代では「悟性」のウェイトが大きく、感性より悟性を重視した時代であった。オートメーション化、画一化された 一貫教育の中で、悟性に優れた人材やビジネスモデルが効率化の名の基、重要視されていたのである。
しかし21世紀、正確には1980年頃より供給が需要を追い抜きモノが溢れかえり、モノで身の回りを埋めつくした我々の社会では「個性」というモノに対する欲求が生まれ、個性をブランド化したり、個性をマーケティングすることでモノそのものの主語性よりモノに附随する価値、要するに述語性に価値を見い出そうとしたのである。
そうすることで溢れかえるモノの中で、自社のモノをその吹きだまりから脱出させようと試みたのである。
そこで重視されてきたのが感性である。差別化の手段としての個性の確立を目指す場合、悟性重視では個性は産まれないことに気付き始め、感性に目を向けるようになったのである。
感性のウェイトを増強させ、プライオリティをまずは感性、次に悟性としたのである。
まさに20世紀とは逆である。また、この大きなパラダイムシストは社会に新たなチャンスと悲劇を産むこととなる。
悟性型人間の排除と感性型人間へのスポットライトである。しかし、ここで間違えてならないのは、悟性も感性もいずれもバランス良く共生しなければ、何ごとも成立しないということである。
本文は決して感性優位という意味の論ではなく、感性、悟性のウェイトバランスとプライオリティ順位が、シフトしたということを言いたいのであって、いずれも必要な要素と言うことをご理解いただきたい。